日本ではアニメ「ドラえもん・ぼくらの大空中戦」でもアメリア・イアハートが登場していますね。
今更ブログ記事にするには遅い【アメリア・イアハート】ですが、マーシャル諸島関連とし内容を大幅に掻い摘んで、ここでも残しておこうと思います。
数年前にマーシャル諸島の地元紙に掲載された ”Amelia Earhart” の文字には、マーシャル諸島住人誰もが何故だか興奮したことでしょう。
アメリアの生涯が分かる、リチャード・ギア共演のおすすめ映画はこちら!
※ ここからの記事はネット上の各サイトからテキスト抜粋引用させていただき、パブリックドメイン画像を使用しています。
世界一周を目指したアメリア・イアハート
女性パイロットとして初めて1932年に大西洋単独横断飛行をすでに成功させており、さらにハワイからアメリカ本土への単独飛行も世界で初めて成功させていました。その次の目標として立てられたのが、
赤道上世界一周飛行!
1937年、アメリア・イアハートはナビゲーターのヌーナンと愛機【ロッキード・エレクトラ10E】に乗り込み、カリフォルニア州オークランドから東周りでニューギニアのラエまで到着しています。
1937年7月2日にラエを発ち、最初に目標とするのは太平洋のまさに赤道上付近に位置するアメリカ領地「ハウランド島」。
飛行支援の為にハウランド島周辺で待機しているアメリカ沿岸警備隊の巡視船「イタスカ」と合流する予定。
しかし、
「イタスカへ。私達はあなた達の上にいるに違いないが、あなた達が見えません。燃料は不足しています。あなた達からの無線通信も聞こえません。高度1,000 フィート (300 m)を飛行中」
その1時間後
「私達は今、157° – 337°線上にいます。6210キロサイクルでこのメッセージを繰り返します。聞き続けてください」
ところが、イタスカの前に現れることはなかった。
その後も幾つかの特定不可の発信があるも、そのまま消息は不明となった。
この時点でイアハートとヌーナンは、島が発見できないために10海里ほどの誤差を発生させてしまったことを想定し、南北方向への修正を行っていたものと思われる。
※目的地ハウランド島の手前にはキリバス、その北にはマーシャル諸島が位置しています。
旅客機エレクトラを長距離用に改造し、キャビン内に6槽の増設燃料タンクを設置したイアハート機は燃料を使い果たした状態では充分な水面浮力を持ち、暫くは水面に浮き続けるはずである。
・ナビゲーターのヌーナンは飲酒で時間を過ごしたという記録もあり酔っていた?
・無線に関しての理解が浅かった?
さて、ここから更に謎に包まれていくのです。
消息不明直後のアメリカと日本による捜索
アメリカ海軍は「空母・レキシントン」、「戦艦・コロラド」、「沿岸警備隊・イタスカ」を派遣、大日本帝国海軍は「水上機母艦・神威/かむい」、「特務艦・膠州/こうしゅう」等が捜索に参加。
それぞれ1週間程度をかけて総面積390,000平方キロの大規模な捜索をしたが何も見つからなかった。
その後もイアハート機の残骸や遺留品が日本委任統治領内の島に流れ着く可能性があったため、山本五十六海軍次官は出来るかぎり捜索に協力するよう指導した。
しかし日米双方の航空基地として南洋群島をめぐる緊張は高まりつつあり、さらに1941年(昭和16年)12月8日に太平洋戦争が勃発し、両軍による調査や捜索はそれ以降行われることが無かった。
その後の捜索・調査とあらゆる説
キリバス共和国・ニクマロロ環礁説
キリバス共和国 ニクマロロ環礁(当時はガードナー島)
遭難から3年後の1940年の捜索で白人女性の物と見られる骨が見つかっているが当時の技術ではアメリア本人の物とは特定出来ず、さらに第二次世界大戦中の混乱で骨も紛失してしまっている。
ただし、アメリカ人海洋探検家のデビッド・ジョーダン(アメリカ海軍を退役後は自身でサルベージ会社を経営)は、2002年と2006年の2回にわたり、総費用450万ドルを費やして目的地周辺1,200平方マイルの海底ソナー探査を行ったが、結果的に機体らしきものは発見されず、この結果からニクマロロ環礁周辺遭難説を否定している。
研究グループ「タイガー (TIGHAR)」は、化粧用コンパクトの一部とみられるガラス片、ジャックナイフなどを同島から2007年に発見し、イアハート自身が同島に漂着し死亡するまで島で生活していたという説を唱えている。
2012年にさらに調査を進めた結果、同年7月の調査で撮影されたニクマロロ環礁沖の海底の映像の中に、機体の一部らしきがれきが映っていたと発表された。2014年になって、この時海底から引き揚げられた機体の一部が「ロッキード L-10 エレクトラ」の部品であることが判明した。らしい・・
マーシャル諸島・ミリ環礁説
ワシントン州の高校で理科を教えるディック・スピンク氏はまったく違う説を唱える。エレクトラは進路を大きくそれ、マーシャル諸島のミリという小さな環礁に着陸したというのだ。
『彼女はミリに着陸した。おじやおば、両親、あるいは祖父母がそれを知っている』とマーシャル諸島であまりにも多くの人が口をそろえて言うらしい。スピンク氏は何十人もの住民に詳しい話を聞いて回り、ついにイアハートが上陸する瞬間を見たという2人の漁師と出会った。そこは荒いサンゴの海岸だった。
2015年にはミリ環礁で磁気探知器を使いエレクトラの部品を探した。ここでは機体の部品と思われるアルミニウムの破片が幾つか発見された。
マーシャル諸島で作業や調査船としても稼働している「Indies Trader」もミリ環礁での捜索に参加したことは記憶にも新しい。その当時、彼のSNSへの投稿はかなり興奮した内容だったが、現在では閲覧者の関連記事のリンク投稿やコメントのみ。という結果ということですね・・
その当時は、「お前も潜って探してこい」などという周囲からの冗談話も多くなんだか周囲もざわついていたのを覚えています。
マーシャル諸島・ジャルート環礁説
2017年7月に、アメリカの歴史娯楽専門チャンネルは、特別番組「アメリア・イアハート:失われた証拠(Amelia Earhart: The Lost Evidence)」において、「イアハートとヌーナンが日本軍に拘束されたとする従来の説が有力である」旨を公表した。根拠として同番組がアメリカ国立公文書館から入手した、日本委任統治時代のマーシャル諸島ジャルート環礁の港にて撮影された写真を挙げた(写真は1935年(昭和10年)10月に出版された日本語写真集の中に収録されている)。
この中にイアハートとヌーナンにそれぞれ特徴が似ている白人の男女、そして破損した乗機とされる物体が貨物船に曳航されるとされる姿が写されており、これを「2人がミリ環礁に不時着した後に撮影されたもの」だと主張している。が、
マーシャル諸島政府外務省の公式書面では、画像のジャルート環礁のジャボール港は1936年に造られたとされており、1935年の出版物に掲載されることはできない。
- 船舶の形式などから写真はイアハートが遭難する以前の1920年代後半から1930年代前半のものとされる
- イアハートの思われる人物が映る写真出版物と港建設時期が合わない
- 日本の委任統治領は、1937年1月以降外国船の入港が禁じられたにも関わらず、あきらかに日本籍でないと思われる商船が写っていること(1937年7月に遭難)
- 写されている人影の中に日本人らしき姿が見られない
と、マジュロ在住で軍事専門家のマット・ホリーは発言しています。(彼とはマーシャル諸島内の沈船に関して良くやり取りをしていますが、歴史的な建造物や人工物についてとても詳しい方です)
これらを踏まえ、否定される意見が多い。
日本の捕虜説
以前より日本とアメリカの間で対立が深まっていたこともあり、「アメリカ海軍はイアハート機捜索の名目で、日本の委任統治領をはじめとする南洋諸島の空中調査を行った」という噂が流れた。逆に、イアハートが諜報行為をしたことで日本軍の捕虜になったという噂も立った。
「イアハートがアメリカ軍の要請を受けて、カロリン諸島やマーシャル諸島などの、日本の委任統治領における日本軍の活動を探るべく飛行した後、カロリン諸島に駐留する日本軍によって撃墜され捕らえられた」という話が、地元住民の目撃談として唱えられていた。さらに、「日本軍に捕らわれた後にサイパン島を経由して東京に移送され、第二次世界大戦中に皇居内で拘留され続け、終戦直前に処刑された」という説まで、同じく目撃者の証言と共に唱えられたこともあった。その上1970年に出版された本の中では「終戦後解放された後にひそかに帰国し、偽名でニュージャージー州で暮らしていた」との説まで唱えられた。
しかし、このような話は、失踪前のイアハートからの通信では(日本軍を含めた何者かから)攻撃を受けたとの報告がない上に、日本側には撃墜や拘留、処刑の記録が無いばかりか、前述のように日本海軍の艦艇はアメリカ海軍艦艇と共に多額の費用を投じた捜索活動も行っている。また日本関係者によるイアハート目撃の報告もないため、信憑性が無いいわゆる「陰謀説」と言えるレベルのものであった。
まとめ
おさらいすると、
- 燃料がなくなり太平洋のどこか深海に沈んだ?
- ハウランド島近くに墜落または不時着?
- 目的地から外れニクマロロ環礁周辺に墜落または不時着?
- 目的地から外れミリ環礁に墜落または不時着?
- ミリ環礁に墜落または不時着後、ジャルートへ?
- 日本軍に捕まり捕虜となりその後死亡?
これら各地で機体の一部らしい破片や持参していたであろう小物等が発見されていますが、各地で発見されればされる程 謎が深まるばかり。
”Amelia Earhart”という文字が地元の新聞に載った時には、まるでトレジャーハンターかのように、急遽情報をかき集める方達、または早速大型船で・・など動きがありましたが、今となれば、「この場所」という結論付けるものは見付かっていないということになりますね。
2人どちらかの遺骨の発見とDNAの一致、または機体エレクトラが発見されない限り憶測ばかりが今後も飛び交うことでしょう。
新たな情報や発見がどこかで近いうちにあるかもしれませんね。
当時、女性やパイロット志望者などは、国民的ヒロインとなった彼女から大きな勇気を与えられたことでしょう。80年以上も経った今でも彼女の人気は高く、多くの注目をいまだ集めている ”伝説の女性飛行士” なのです。
イアハートの名言
The most difficult thing is the decision to act, the rest is merely tenacity
最も難しいことは行動する決断、あとは執念深くやるだけ
まさに「決断」です。何事も 決断した自分を裏切らず全うするのみ。
コメント
マーシャルにまつわるすごいドラマを見た気分です。
私など若いころ、NHKの朝のドラマで、日本人初の女性パイロット
を主人公にしたドラマをみて、昭和の初めに、すごい女性がいたと
ちょっと興奮したことがありましたが、アメリカにもやはり第一号となる
女性がいらしたのですね。ちょっぴり最後が悲しいですが、、。
何か形跡が見つかると、慰められるのですが。
「最も難しいことは行動する決断、あとは執念深くやるだけ」
良い言葉ですね。持続性が大事ですよね。
この言葉、胸に刻んでおきます。
いまだにどこかで誰かが情報を集め探そうとされていることでしょう。
もしもマーシャル諸島だとしたら?と思うとなんだかソワソワしちゃいます。
こういった言葉(名言?)も発言される方により大きく変わるような・・胸に響く言葉ですよね。
3月8日は確か国際婦人デーとか!イアハートさんのこと
教えてくださり、ありがとうございました。
ちょっと、博学にになった気分です。
世の中の「婦人会」は大忙しですね=33