毎年3月1日は「ビキニデー」として、核実験による犠牲者を追悼する日となりマーシャル諸島は祝日となっています。
あらゆるところで戦艦長門やビキニ環礁についての情報が溢れかえっていますが、本日も振り返ってみたいと思います。
※トップ画像は、ビキニ環礁の水深約50mに眠る戦艦長門の41cm口径の主砲
核実験の標的となった戦艦長門
※画像の戦艦長門の船首には星条旗が掲げられ、日本海軍の象徴・菊の紋章は外されている。
太平洋戦争開戦時、連合艦隊を率いた戦艦「長門」は、現在マーシャル諸島共和国・ビキニ環礁のラグーン内に今も尚当時の姿を残し、ひそかに眠っています。
その姿を一目見ようと思うにはあまりにも深い。
そんな「長門」は終戦時、核実験のために米軍に接収され、ビキニ環礁まで辿り着き、他の戦艦・空母・巡洋艦などと共に核の標的にされます。
原爆の爆発によって多くの軍艦が次々に海底に沈んでいく中、「長門」はすぐに沈む事も無く、日本の軍艦の防御力の強さを見せつけたと言えるでしょう。
その後、2発目の原爆実験でも「長門」はすぐには沈まず、4日後の夜間 誰にも見られることなくひっそりと海底深く沈んでいったと言われています。
「長門」にとって本当の最後の戦いはビキニ環礁だったかもせれません・・
現在のビキニ環礁
2010年に世界遺産に登録されたビキニ環礁。
「世界遺産」といえば、ファンがいるほど一度は訪れてみたいと誘惑される響きでもあるでしょう。
現実はなかなかそうはいかず、大型船をチャーターし全工程数日間掛けてビキニに向かうか、これまた国内線の機体をチャーターするなど未だにハードルが高いエリアです。
しかも、最近ではグンッと入島料が上がりますます現実的で無くなっているのが事実。
さて、世界遺産に登録されているビキニ環礁ですが、水中には核実験の動かぬ証拠となる軍艦が何隻も沈んでいるわけですが、陸にいたっても当時の面影は残ったまま。
マーシャル諸島は山もなく農作物というには乏しい自生ココナツやパンダナスなどのごく一部の食物しか育っていない。その上2021年になる今でもこれらの陸地になる食物を口にすることは出来ない状況が続いています。(ちなみにビキニ環礁のリーフフィッシュや回遊魚等は問題なく食すことができるとのこと。)
そのような状況でビキニ環礁出身者がここへ戻れるわけもなく、ひっそりとした世界遺産となっています。
ネット環境も良く、物に溢れかえった首都マジュロ環礁で生活をするビキニ環礁出身者(自分でなく親や祖父母など)が、今のご時世にビキニ環礁に住みたい(戻りたい)のかどうかは正直わかりません・・・
どちらにしても核実験により強制的に住める環境を奪われたことには変わりありません。
二度とこのような悲劇が繰り返されないようにも、マーシャル諸島に暮らす日本人としても思い返さないといけない日だと実感しています。
コメント
二日間かけて、解説を読みながらビデオ、写真など、隅々まで拝見いたしました。
私は、かろうじて戦争を知らない世代ですが、育ったところが満州からの
引き揚げ船の着く、舞鶴でしたので物心ついた頃から終戦の足跡を体験して
来たと、自負しておりました。しかし船艦長門のこと、久保山氏を事実とする
水爆実験その後、などいかに自分の認識が欠けていたのか知るほどに、
背筋に冷たい風を感じました。
美しい映像とともに、解説文章を心に刻みました。
事実を受け止めつつ、今後の平和を願います。